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青春18きっぷの旅 千葉〜茨城〜福島〜新潟〜群馬〜埼玉 その3(よしのぶ弁当と水郡線) [駅弁]

水戸駅は、最近ふえている橋上駅だった。まず改札を出て左に行き、ローソンを発見。フトコロが寂しかったので、お金を下ろした。

駅構内に戻り、改札を背にして左側にある駅弁屋で物色。ちょっと悩んでから、5〜6年前に食べたことのある、「よしのぶ弁当」を選択。

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よしのぶとは、高橋由伸ではなく、徳川慶喜のこと(当たり前か)。ここの駅弁屋は、買った人みんなに、おまけとしておつまみをくれる。私は、柿ピーを一袋もらった。いいサービスである。

駅弁を買ったものの、食べるところがない。水郡線は1本やりすごしたので、次の発車まで30分ほど時間はあったが、駅の待合室で食べるのは気がひけ、けっきょく駅弁を持ったまま乗車することに。

乗ったのは、水戸1341発の829D(常陸大宮行)。駅弁を食べず、ホームの最前列に並んでいたので、4人がけのボックスシートに座れた。が、車内は座席がほぼ埋まるほどの混雑だったので、駅弁はおあずけ。

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水郡線は新型気動車が走っていた。キハ130系というそうである。

ボックスシートには、私のほか、おばちゃんが2人座っていた。この人たちは知り合い同士だが、車内で偶然出会ったようである。私の隣に座っていたおばちゃんのほうがおしゃべりで、かなりうるさかった。

途中駅で、おとなしい方のおばちゃんが降りたら、おしゃべりのほうのおばちゃんが、

「うるさかったでしょ。ゴメンナサイね」

というので、「そんなことないです」といいながら、世間話に移行。普通、1人で列車に乗っていると話しかけることも、話しかけられることもないので、めずらしいパターンである。

どこへ行くのかと聞かれたので、「常陸太田まで」と答えると、「あそこは、日立のお偉いさんが飲みにやって来るところだった」「昔は栄えていたんだけど」と教えてくれた。

数年前まで、日立市と常陸太田の間に「日立電鉄」が走っていたが、そういう需要があったのかと、初めて知った。

おばちゃんの交流を楽しんでいたが、彼女は中菅谷で下車。「常陸太田には、次で乗り換えるのよ」と、最後まで優しく教えてくれた。

上菅谷では、ホームの反対側に止まっていた2両編成に乗り換え。

ここで一つの事件が。一つめの駅、南酒出で、杖をついているおじいさんが列車を降りようと、フラフラと現れた。

1両めの真ん中のドアから降りようと、ボタンを押していたが、ドアが開かない。誰も助けに行かないので、私が立ち上がって「開」のボタンを押したが、やはり開かない。

すると、運転手がこの騒ぎ(というほどのものではないが)に気づき、「一番前まで来て」という。ワンマン運転だと、無人駅に止まるときは、運転手にきっぷを渡して降りる方式が多いため、運転手のすぐ後ろの扉以外は開かないのが基本なのである。

私は、おじいちゃんがボタンを押し間違えたのかと思ったのだが・・・。

まあ、無事降りられたので、よかったな。

常陸太田には1416着。発車は1512発なので、1時間ほど時間がある。

今思えば、日立電鉄の廃線跡などを訪ねればよかったのだが、実は上菅谷から常陸太田までは、銚子電鉄に乗れなかったから急に行程に入れた区間で、思いつかなかった。先ほどのおばちゃんとの会話の中に、ヒントはあったのだが。

で、1時間ほどの空き時間で、とりあえず駅弁を食べた。

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おかかごはんと、牛肉、豚肉のしそ巻きフライがおいしい。

よしのぶ弁当は、「豚一様」(豚肉の好きな一橋様)と呼ばれるほど肉好きだったそうで、この駅弁は肉類をはじめとした慶喜の好物で構成されているそうである。味は濃いめだが、好きなものしか入っていないので、以前食べているにもかかわらず、また買ってしまったのだ。

昔の印象を裏切らない、いい弁当であった。

PA0_0142.JPG 一応、常陸太田の駅舎も撮影。風情がある。

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終着駅の証。

さて、駅弁を食べた後はちょっとブラブラしたくらいで、とくにすることもなく、車内に座って発車を待つ。

常陸太田1512発の934Dは、水戸まで直通運転する。が、上菅谷で郡山行きに乗り換え。

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ホームがやけに長い。昔は長大編成の列車が走っていたのだろう。

上菅谷1531発の337Dは、それなりに混んでいた。が、常陸大宮までで乗客はかなりへり、矢祭山あたりではガラガラになった。

水郡線は、久慈川の眺めがキレイで、トロッコ列車が走ることもあるという。が、全線を乗り通すと3時間以上かかり、さすがに飽きてくる。

しかし、飽きてからが本番である。そうなると、ボケッと車窓を見ながら、物思いにふけったりする。

私が何をしていようが、列車は順調に進む。磐城塙では男子高生が12人乗ってきて、車内は急速にむさ苦しくなる。が、3つめの磐城石川までで全員下車。ここでは、女子高生が多数乗ってきたが、6つめの泉郷まででほぼ全員が下車。意外と、細かく人が入れ替わっていく。

郡山の一つ手前、安積永盛駅で大量の乗車があり、それまでで一番の混雑に。

郡山には1823着。もう外は真っ暗である。

本日の宿の会津若松までの電車は、40分ほどない。そこで、一度改札を出てウロウロする。ちょうど、駅弁屋が閉まるところだった。まだ早い時間なのに。

近代的な郡山駅は、ウロウロしてもおもしろくないので、磐越西線乗り場へ行く。変わった座席配置の電車が止まっていた(どう変わっているかは、説明が難しいので省略)。集団見合い型という配置らしい。

郡山から会津若松までは、1時間20分ほど。ここは何度も乗っている区間なので、外が真っ暗でもOKである。

うとうとしているうちに、2021に会津若松着。12時間以上の行程であった。


2008-09-27 23:56  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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